サワディーカァ!バンコクのりーです。
実際に私は、タイのバンコクで「妊娠」「出産」そして「子育て」を経験しました。
日本では子どもを欲しいと思っていなかった私が、バンコクで生活するうちに子どもが欲しいと気持ちが変わっていった、そして何故バムルンラード病院で出産したのか、どんな病室だったのかなどをご紹介していきたいと思います。
妊娠出産への不安
さっそくですが、日本で出産するのに抵抗のある方いると思うんです。私はその一人でした。
妊婦生活に臆病で、子育ても臆病でした。
一言で理由を言えば、赤ちゃんや子育て中のママに対する世間の冷たい眼差し・・・(もちろん全員ではないですが)。この気持ちを持って妊娠出産子育ては考えられませんでした。
日本で10年間子どもを作りませんでしたが(作れなかった)、タイのバンコクに住み始めて1年後に無事出産し幸せ子育てを経験できた私です。
日本で10年間子どもを作らなかった私が、どうやって子どもを作ろうと思ったのか?
まず日本からタイのバンコクに駐在としてやってきたことから始まります。
私は心の奥でずっと、
- 子どもを育てるなら日本じゃなく海外だろうな。
- もう日本で10年も子どもを作れなかったんだから・・・。
- 日本での出産はまず考えられないな。
という強い思いがありましたので早く日本を出たい!と思っていました。
見方をしてくれるかのように駐在という形で日本を出ることに成功し、しかもバンコクに住めるなんて夢のよう・・・と、その瞬間から解放された~自由になれる~という気持ちを持っていたと思います。
日本を脱出して(あえて「脱出」という表現にしました)バンコクの地を踏んだそのとき・・・どんな気持ちでいたか・・・思いだせないんですよね、これが(笑)。
バンコクには数回観光にきていたので雰囲気はなんとなくつかめていました。
しかし観光とは違うバンコクでの生活がスタートするわけです。
このわくわく感は相当なものがありましたね。
全てが初めからですから。タイ語で生活する。スーパーに買い物に行く。車を運転する。タイ人の暮らしの中で生活する。少し、いや、かなり舞い上がっていました。
当時、車で数時間運転すれば観光地化されてない人もまばらな静かなビーチがありました。
ホアヒン(バンコクから車で約3時間)が大好きで休みがとれれば遊びに来ていました。
昼間からソムタム(青いパパイヤのサラダ)にビール。海辺で戯れる犬たち。
下記の写真は17年前のホアヒンのスワンソンビーチです。
この↓広い砂浜と海が最高でした(過去形・・)。
また、当時の私の住まいは、日本人が多く住むエリアから少し離れた住宅地の一軒家でした。
近所の人たちとも密にふれあえます。近所の子どもたちもワイワイ外で遊んでいました。周りはタイ人ばかりの環境でした。
そしてどこに行っても子どもに優しいタイ人を見ることができました。
- BTS(高架鉄道)に乗った瞬間子どもに席を譲る。(←本当に瞬間なんです。現在も。)
- レストランなどでも従業員がお客さんの子どもを抱っこしたり声かけは当たり前。
- スーパーやホテルでも、どこでも子どもに優しいまなざし。
この写真は当時のお手伝いさんです。料理洗たく掃除、子育て全て手伝ってもらいました。
このようにのびのび出来るビーチや自然があり、子どもに優しいタイの中で、しかもお手伝いさんに手伝ってもらえるという最大級のストレスフリーな環境をつかむことができました。
ずっと子どもが欲しかった(日本では子どもを作る気にならなかった)私たちは、バンコクに住みだしてすぐに「妊娠」。
バンコクに住みだして1年後に「出産」することができたのです。
人間って環境次第で変われるものなんだなとつくづく思いました。タイの魅力にやられました!
いきなりですが「妊娠」「出産」「子育て」に対し人一倍不安な思いを持っていた私です。
「妊娠」する=妊婦生活を送るということですよね。
妊娠期間十月十日(とつきとおか)、約10か月もお腹に赤ちゃんを身ごもってどうやって生活するの・・・?
子育てってどうしたらいいのか分からない・・・!
分らないことがすごく不安であり⇒ それが日本で「子育て」を行う⇒ 恐怖に近いものを感じつつ⇒
結果、結婚してから20歳代~30歳前半の10年間子どもを作ることができませんでした。
ちなみに私は「保育士」資格を持っていますので、もちろん子どもは好きだし子育ての勉強もしていたのですが・・・。
1970年代の子育て
育ってきた環境
なんで子育てに対しそんな不安な気持ちを持っていたのか?思い起こしてみました。
姉と私の2人姉妹で1970年代に幼少期を過ごしました。ちょっと幼稚園の頃とか良く覚えてはいないのですが、とにかく隣近所のお友達と空地で暗くなるまで遊んでいたと思います。
今では幼少期あたりからお友達の家にお泊りに行ったり、お友達を連れて遊びに行ったりというのが当たり前という話題もなかったような時代です。ママ友助け合いの時代ではなかったということです。
何が言いたいかといいますと、
子育ては家族だけで行うもの。子どもを他人に預けるなんて無責任ではないのか。
1年に1回あったか??ですが、近所のおばさんがその家の子どもと一緒に映画に連れて行ってくれました。
確か「ベンジー」という犬の映画だったと思います。
小さなころに家族以外の人と遊びに行く、他人に遊びに連れて行ってもらうことがほぼない時代でしたので良く覚えています。
たまたまそんな家庭で育ったのかどうかは分かりませんが、子育ては家族を中心にやるもの、他人を頼るものではない、と無意識のうちにインプットされていたのだと思います。
姉の子育て
私よりも姉の方が出産が早かったので子育てというものを実際に観察できました。
やはり記憶に残っているのは家の中で家族単位で子育てを行っていた・・・
しかし、当時姉は実家で生活していたので母にもかなり手伝ってもらっていましたね。
洋服を手作りしてもらったり、食事の世話やら幼稚園のお迎えなどなど、母が常にいてくれて手伝ってあげていた、、、こんな幸せな子育てはありませんね。
だったら私も安心して子育てができるじゃないか!って思えば良かったのですが、そう簡単ではありませんでした。
結局は
私の場合は妊娠~子育てというのは家族内や自分でやるべきもの、他人を頼ることはできないと思っていたわけですね。姉の子育てを観察していたにも関わらず・・・。
自分の責任でしっかりこなさないとならないと勝手に思っていたということ。
母を頼りたくたくてもその後母は病気を患ってしまったので子育てを手伝ってもらうことはできませんでした。
また、その当時からも下記のような子育て問題は少なからずあったと思います。
ベビーカーを邪魔にするや、赤ちゃんの泣き声に怒る、妊婦さんに席を譲ってあげない、保育施設の不足など・・・など世間の子育てに対することがネットで炎上!(←これはごく最近ですね)なんて問題になり、そして「子育てに優しい社会を」とか「温かく見守りましょう」とかそんなこと言ってる日本で、安心子育てなんか出来るわけがありません。
これらのことが原因で私は10年間子どもを作らなかったと思います。
いや、作りたくなったんでしょうね。
もし日本で出産子育てしていたら「育児不安」「育児ノイローゼ」なんてことになっていたかもしれません。
参考:平成25年度内閣府、子育てに関する意識調査
この記事をまとめるために参考にした内閣府のアンケートです。
【調査目的】
我が国は、社会経済の根幹を揺るがしかねない「少子化危機」ともいうべき状況に直面
している。近年、合計特殊出生率は 1.41 と微増ではあるが、先進国の中でも低い水準であ
り、このまま上昇傾向が続くかどうかも不透明である。
多くの若者が、将来家庭を持つことを望み、希望する子どもの数は平均 2 人以上となっ
ているものの、晩婚化が進むとともに生涯未婚率が上昇しており、国民の希望を叶えるこ
とが出来ていないのが現状である。こうした国民の希望を叶える観点から、家族形成について当事者である若者のみならず、
国民の意識を調査し、その阻害要因や要望を分析する。
また、子育てをするにあたっては、社会全体で子育て家庭を応援すべく、子どもを生み
育てやすい環境づくりを、地域が一体となって進めていく必要がある。地域においては、
子育て支援活動の重要性や参加意識などを調査把握することも重要である。
本調査研究では、調査結果を広く公表することにより、生命を次代に伝え育んでいく家
族の大切さや、子育て世代を地域全体で支えていくことが重要であることの国民意識醸成
をはかるとともに、今後の施策立案に寄与することを目的とする。
【Q5aで「1結婚している」と回答した 20 歳~49 歳の方に】
Q7 〔回答票8〕あなたが今後、子どもを持つ場合の条件としてはどんなことが考えら
れますか。
あてはまるものをいくつでも選んでください。(M.A.)
(ア)教育にお金があまりかからないこと
(イ)地域の保育サービスが整うこと(保育所や一時預かりなど)
(ウ)出産・育児について相談できる人が地域にいること
(エ)雇用が安定すること
(オ)働きながら子育てができる職場環境であること
(カ)自分の昇進・昇格に差し支えがないこと
(キ)家がある程度広いこと
(ク)自分または配偶者が高齢でないこと
(ケ)健康上の問題がないこと
(コ)配偶者の家事・育児への協力が得られること
(サ)配偶者以外の家族に、育児に協力してくれる人がいること
まとめ
政府が作った上記アンケートですが「子どもを持つ条件・・・」というテーマ自体、不愉快だし悲しくもありますね。実際、上記項目などを問題とし解決することで少子化を抑えることができるだろう、ともとらえることができます。
さらに、この条件がないと子どもを持てないのか・・・と思わざるをえない日本の考え方にも幻滅です。
子育てに希望を持ち、夢見て安心な子育てをすることは出来ないのでしょうか。
結局私は日本で10年間子どもを作らなかった(作れなかった)のですが、
タイのバンコクに住み始めたことで、
自然と子どもが欲しい~!!
と気持ちが前向きになることができました。
そして大切な子どもを条件なしで授かることができました。