こんにちは、めりこです。
前回の 第2弾!では「バンコク移住までの1年間でインター希望校探し、入学手続きを経て初登校を果たしました!」 などについて書いてみました。
今回の第3弾!は、
ついに インターナショナルスクール初登校を果たしたが、数か月で学校をやめ転校となってしまった理由
などについて書いてみようと思います。
数か月で学校をやめてしまった原因は「自分にあるのではないか」?
今だから言えること、考えられること、後悔していることなど、いろいろと考えてみました。
バンコク母子生活をスタートしてから約4年間を 全7回シリーズ としてご紹介しています。
是非最後までご覧ください。。
学校をやめてしまった理由をあれこれ考える
以前、5年間バンコク駐在を経験していたので今回の母子移住は大丈夫だろうって思っていました。
しかし、母子生活が始まり日々ギャップを感じるようになっていきました。
多少不安はありましたが、あれほどまでに自分がダメダメになろうとは・・・
ゆるすぎた日本生活
以前のバンコク駐在終了後の日本の生活についてですが、
1、バンコク駐在を終えることで寂しさ、悲しい気持ちを持ちつつも、日本の生活にサラリと戻れました。やっぱり日本って楽ちん!
2、なんといっても 言葉の壁 がない安心感。
3、さらに日本で何か問題発生しても家族に丸投げ(笑)。自分で全てやらなくてもいい…というちょっと無責任で気楽な生活。
4、そして母国での生活なので海外の特有(?!)な 刺激なし、心身ともにある意味打たれ弱くなっていた=ぬるま湯の生活 につかっていました。
バンコク駐在終了後、7年間ゆるい日本生活をして、再びバンコクに母子だけで移住です。
ギャップがないはずがありません。
プレッシャーの生活基盤作り
ここからバンコク母子生活スタートです。
とにかくやるべきことが多すぎました。
在住経験ありといえども海外生活ですから大変です。
1、スマホの購入。お店は?契約会社は?各種プランは?などなど。日本でもややこしいのに海外ではもっとです。
2、インターネット(おうちのWifi)。契約会社は?各種プランは?配線工事は??などなど。
3、車の購入。お店は?免許証は?定期点検は?強制保険に任意保険は?ガソリンスタンドは?などなど。
4、日用品。飲料水は?洗剤は?水漏れ修理は?などなど・・・。
想像以上にこなさないといけないことがたくさんありました。
しかも 頼れるのは自分だけというプレッシャー!
駐在生活と比べちゃダメ
以前の駐在生活では「お手伝いさん」がいてアレコレお世話をしてもらっていました。
ご飯作り、片付け、掃除、洗濯、買い物、子どもの面倒・・・・あらゆることを手伝ってもらえる環境で生活していました。
困ったときに頼れる人がいるというのは精神面でも安心でしたね。
いざ、母子生活が始まってみると・・・
180度違うものでした。
初めてのバンコクじゃないのに、初めてのように慣れないバンコク生活 のスタートだったわけです。
このギャップに苦しみました。
ネガティブ志向に
そもそも日本の田舎町で育った私が、インターナショナルスクールに子どもを入学させるというだけでもハードルが高いですよね。
きっと、私に海外滞在(ここでは英語圏を指しています)の経験や、留学や、少なからず英語が話せる能力があればここまでダメダメではなかったはずです。
はっきり言って私は英語ダメダメです。単語ジェスチャーで生きています。
タイ語は日常最低レベルです。
こんなダメな母です・・・。
ほんと、人間って怖いですよね。ネガティブ志向ってどこかで抜け出すきっかけがないとネガティブスパイラルにどっぷり浸かってしまいます。
当時はまさにこれでした。
我が子に影響?
当時は 自分のことや生活のことばかりに時間を費やし、我が子のためにいい環境を作ってあげれなかった・・・。
ここでいう、いい環境とは?
安定した生活です。
- 大雑把なくらいの大らかさ精神。
- 笑顔な毎日。
- 人とのつながりある生活。
こんなことがかなり欠けていたと思います。
少しでも我が子の気持ちに寄り添ってあげられれば・・・。
その結果たった3か月で学校をやめることになってしまった・・・・。
これが、直接的な原因ではないと思うけれど、我が子にとってはどうみてもいい状態でのスタートではなかったと思っています。
そして第4弾!へ続く。
ここまでいかがでしたでしょうか?
初登校を果たしたが、たった数か月で学校をやめてしまった理由など、原因は自分にあったのか?など反省を含め書いてみました。
さて 続きの4弾!! は、
などに焦点をあて、さらに掘り下げて書いてみようと思います。
是非読んでみてくださいね。
▶1弾!から読んでみる。
最後まで読んでいただきありがとうございました。