こんにちは、めりこです。
今回は、我が子が小学6年生の夏から、高校1年生までの「 母子でバンコク生活していたこと」 を総まとめとして書いてみようと思います。
なぜ小学6年生の夏に? そもそもなぜバンコクへ? 学校はインターナショナルスクール?
4年間の中で 「学校」はかなりの比重を占めていて、なんと4校も経験(3回も転校) しました。
生活の中心となるのは自分ではなく常に我が子。我が子の学校生活が「かぎ」 となっていました。学校生活が潤って初めてバンコク生活が楽しい と思えました。いかに私の中で我が子の学校が大きく占めていたか・・・。
第1弾から第7弾(最終回)までシリーズとなっています。
是非最後までお読みいただけると嬉しいです。
第1弾 あれから3年後に決心!
2011年3月11日、あの時我が子は小学2年生でした。
毎日の生活、特に食生活にはとても敏感になり、このままではいけないなと思い続けていました。それから3年後ついに日本を離れてバンコク移住することを決心します。
ここに辿りつくまで長い時間が私には必要でした・・・。
第1弾として やっとバンコクに移住することを決心した!そして移住するタイミングについて まとめています。
第2弾 バンコクに移住するまで
第2弾は バンコクに移住するまでの1年間、日本にいる間に何をやってきたのか?希望校探しや見学、体験入学そして手続きを経て、初登校を果たす ことをまとめています。
移住を決心するという壁を乗り越え・・・
そして次なる壁は学校探し。
英語が苦手な私には相当なプレッシャーでした。ホームページを見ても何て書いてあるかも分からない、以前バンコクに住んでいたといってもインターナショナルスクールなんて初めてだし何が何だか分からない状態でした。
ついに初登校日。我が子は、かなりの緊張と不安だったと思います。一切口に出さなかったので真相は分からないのですが・・。
母子だけで海外に住むという、未知の世界への一歩を踏み出した といった感じです。
第3弾 学校、苦難の道のりが始まる
不安と期待を持っての初登校を果たしたのはいいけれど、たったの半年でやめてしまいました。やめる決断を下すのが早かった。私が未熟すぎた。ということだったと思います。
当然初めてのことってすぐにうまくいくはずないし、逆にうまくいくように努力や忍耐力も必要だったと思います。
第3弾は、インターナショナルスクール初登校を果たしたが、数か月で学校をやめ転校となってしまった理由など についてまとめました。
第4弾 学校1校目
1校目をやめた理由は、精神論だけでは語れない他の原因もあったのではないか ?と、やめた理由をよく考えてみました。
他の理由として 学年や英語の壁だったのか などについて、さらに掘り下げて書いています。
第5弾 学校2校目
1校目を踏み台にして、2校目を探し出し順調に学校生活を送る予定でした。
通ってみて分かることってあるし、逆に通ってみないと分からないこと もあります。だから難しいんですよね。
2校目となる学校探し、そして半年でまた学校をやめてしまった理由 についてまとめました。
第6弾 学校3校目
3校目となる 学校探しは、なんとグーグルマップを使って。今までで一番長い1年間通学するも、やはりやめてしまった理由や問題など についてまとめました。
グーグルマップで学校探しなんて・・・。と思いますが、当時は我が子に合う学校探しに必死でした。
最終回 学校4校目
ついに4校目で落ち着き、バンコク移住してから3~4年目の2年間を通学することができました。
バンコク移住してから4校を経験したことを元に学校探しのポイント17項目を書き出してみました。
結局はどの学校がいい悪いかではなく、子どもに合う学校がいい学校 となるわけですね。
まとめ
今回バンコク移住の4年間を学校を中心に総まとめしてみました。
長い人生のたったの4年間だけでしたが、これから長い人生を生きていく上でこんなにも密度の濃い親子生活が再びできるものか? と言われるとなかなか難しいと思っています。
学校探しでは大変苦労しましたが、自分に合う学校探しをしながらお互いに助け合って信頼しあって頑張ってこれたんじゃないかと思います。
子どもは日々成長しあっという間に大人になってしまいます。
自立してはばたいていく前にこんな貴重な経験ができたことに感謝、そして我が子にとってもこれからの人生においてこの4年間が宝物の1つになってくれるとうれしいなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!